2018年 02月 01日
変化
今年を象徴するようなすごい月が1月に2つもやってきて、綺麗でもあり、異様でもあり、新しい展開でもあります。
どの月の状態だとしてもいつ見ても最近の月はずっと美しい。
本当に美しい。
なぜここ数年、教育関係に従事していたのか言葉にしてみたくなりました。
かれこれ遡る事4年ほど前になります。
その当時学んでいた神道の祝詞を唱えていた時の事、それはもうジャンジャンインスピレーションが降りてきて、すごかった時期がありました。
祝詞を唱えることは音の波動を使って私達をゼロポイントフィールドに連れていく事になります。
つまりYOGAと一緒で心のお洗濯をする時間になります。
YOGAのアプローチでは自分が中々進まない事に頭打ちになっていた私は祝詞に力を入れてました。
毎日毎日積もっていく心の垢を、祝詞は綺麗サッパリにしてくれるのです。
この辺りは日本人のお掃除好きに繋がると思いますが、日本語の音のキレの良さを体感して感じております。
私は普段サンスクリット語のインドの歌を歌うので余計にその比較、差がはっきりとあります。
今思うと、その時やってきたインスピレーションは確かに閃きだったのですが、同時に過去世の記憶からくるものとして、祝詞を唱えた事で玉ねぎの皮が剥けるように飛び出してきた、過去世において叶わなかった夢だったのかもしれません。
私は学童に入社して、東京に行くというインスピレーションのまま、学童の母体の本社が東京に変わり、スムーズに東京移住が出来たという物理的な展開もありました。
保育園にしても資格がなくても受け入れてくれました。
そうして、4年前から様々なツールがやってきて、自分もそれを選び与えられるままやりこなしてきました。
そうして東京にも移住して、与えられた事全てをこなしてきました。
好きとか嫌いとか関係ないです。
ただやるのみ。
だから矢面に立ち沢山の刺激というストレスも受けました。
結果、身も心もボロボロになり昨年の秋を迎えました。
アウトプットしている時には分からない時空として、
同時に深い深い自分の内側の旅に出ました。
その状況は、とうとう頭打ちになったという事でもありました。
何というますか、過去世の記憶を消化する数年、という表現が適していると思います。
頭打ちになった、あるサイクルが突然終わった、それはそういうことです。
新しい創造する為の魂の道を進む為にどんな風に人生を歩んでいけるかなぁ。
先日も表現したように、ある意味で、人生の余生を楽しむ感じでもありますし、ものすごく真剣さが増すフェイズに入ったとも言えます。
これから春に向かっていきます。
地球を楽しみましょう。
by dechiffrer_pedro
| 2018-02-01 11:18
| 心・魂・身体